まいどです。クリーニング店専門の印刷会社の石井(社長)です。
先日の日曜日、父親と病室で、昔話で華が咲きました。
父親は昭和15年生まれなので、終戦の20年は5才でした。
その当時、祖父は闇市でうどん屋さんをやって生計を立てていた話とか、警察につかまりかけたけど、当時7才くらいだった自分はお咎めなしだった話しとか・・・・。
その後、祖父は洗い張り屋さんの包装紙を印刷する会社に番頭として入り、1951年にのれんわけしてもらって独立。石井文泉堂が出来たそうです。洗い張り屋さんの印刷がルーツだったようですね。
祖父は印刷が出来ず、口ばかり立つ人だったそう(誰かを思い出しますが)ですが、「文」が「泉」のように湧き出てくる所という意味を込めて文泉堂と名付けたそうです。
当時は包装紙の印刷がメインだったそうですが、1日にできる印刷の限界枚数は2万枚だったそうです。今なら3時間もかからない量ですから、「この印刷機械の革新が石井文泉堂の歴史の中でも大きかったことのひとつ」と父は言っていました。
1951年創業で1972年に私が生まれるのですが、その前に大きな出来事が起きます。
1972年2月14日に祖父が脳溢血でなくなりました。そしてその3週間後の3月8日に私が生まれているのですから、すごく大切にされたんだろうと想像がつきますし、私がおばあちゃん子だったことも頷けます。
こんな風に父がまだ元気なうちに出来るだけ多く、話を聞きたいと思っています。
今日はいい写真がないので、カタログ撮影用に写真館に行った時の写真でお茶濁しです。プロに撮ってもらうと、この写真が・・・・・。そこは新カタログが出来上がるのを楽しみにしておいてくださいね。
本日も最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
石井文泉堂 石井康裕